一般に、年をとると、ものが見えなくなるのは、そういう、こだわりか強くなりすぎるからかもしれません。
こだわらないと見えないんだけれど、それにとらわれて視点を動かさないと、見えなくなってしまう。
むずかしいけれど、そういうものではないかなと思います。
おまけものが見える人は幸せになれるものが見えるということは、気づくということでもあります。
いずれにしろ、見えないことには、気づけません。
そして、ものや事象に気づくということと、他の人の状態に気づくということは同じです。
気づく人というのは、人が困っていたりするのが見えるわけだから、進んで手助けしてあげることができる。
見て見ぬふりというのもありますが、日常的には、分かっているけれど知らんぷりをする人よりも、困っていることに気かつかなくて、結果として知らんぷりをしてしまう人のほうがずっと多いのではないでしょうか。
さらに、気づく人は、人か喜んでいるときにそれに気づ含ますから、いっしょに喜んであげられるでしょう。
そういう人をみんな好きですよね。
苦しんでいるのに気づかないとか、喜んでいるのに同調してくれないとか、やはり、そういう人は友だちにはしたくないものです。
最初のほうで、女性の髪型が変わっだのに気づく方法について書きました。
それは表面的なことではありますか、髪型の変化に気づくのと、人の苦しみや悲しみ、喜びに気づくというのは、基本的には同じことだとわたしは9つています。
気づかない人は、どちらも気づきません。
だって、その人のことか見えていないわけですから。
見えるというのは気づくということにつながっていて、見えると幸せになれる。
この本では、お心に、仕事を深めるために、プロフェノソEナルとしての「発見力」、「発想力」と同義のものとして、「ものか見える力」について書いてきましたか、本当はそれ以上に、人の喜びや悲しみが分かる、見えるということが、人として、非常に大事なことではないかと思っています。
ざあとがき仕事柄、新幹線もそうですが、飛行機にもよく乗ります。
それに関連して、少しオタクぽい話をひとつ。
以前から、空港の滑走路に番号がついているのには気づいていました。
たとえば、羽田空港の場合には、通常使っている滑走路か「34‐16」、横風用の滑走路か「04J22」といった具合です(正確には「34‐16」はRとLの二本あります)。
大阪空港も二本の滑走路、かありますか、両方とも「32‐14」です。
この数字の意味を知りたいと思っていたら、ある人か教えてくれました。
う方位しだそうです。
18か真南で36が真北を表しているそうです。
ですから、どの滑走路も大きな数から小さな数を引けば18、つまり、180度の角度の差かあるわけです。
納得しました。
この話を知り合いにすると、よくそんなことまで見ているなと言われますか、やはり、興味かあるから見ているのだと思います。
角度だと教えてくれた人も、ある会社の社長で別に航空関係の方ではなく、ただ、すごく興味をお持ちなのだと思います。
もうひとつ、この話に関連して言いたいことは、「すべてのことには、理由がある」ということです。
番号ひとつとっても、その裏には理由かあるのです。
何を知っても勉強になるような気がします。
一つひとつものを知る仁びに、【こんなこともあるんだ】と感心し、感動することもしばしばです。
さらに、昔勉強しかことでも、新たに勉強し直すと「発見一があります。
わたしは、これも仕事柄、本をよく読みますが、昔勉強したことでも、読み返してみると、必ず何か「発見」かあります。
もちろん、人間ですから、昔読んだことのかなりを忘れているからだと思いますが、それ以上に、これまで経験したことや勉強したことが、昔読んで気づかなかったことを気づかせてくれているのだと思います。
見えたり、気づいたりすると、世界か広かったような気がして、うれしくなります。
そこから、さまざまな発想も生まれてきます。
今後も、どんどんいろんなことを身の周りで発見していきたいと願っています。
本書か、少しでもみなさんの「見える力」向上に貢献したとすれば幸甚です。
そしてスノコの上に人間が立つと、スノコなしのときよりは、「ほんのちょっとだけ」背が高くなって、新しいことが見えたり、できたりするようになるかもしれない。
つまり、いままでは手の届かなかったことに、ちょっとではあるけれどとにかく手が触れるかもしれない。
また、いずれにせよ、背伸びをして手を届かせようとするのは人間だということも、たいせつな点です。
さらに、スノコは人間の足の下にある。
けっして人間の足の上には出ていないということも見逃せません。
というのは、インターネットはいろいろなものを破壊するのではないか、あるいはインターネットのせいで、本がなくなるのではないか、テレビは亡びるのではないか、政府は要らなくなるのではないか、国という概念は消えてしまうのではないかと、いろいろな危機感と不安がもたれるけれども、決してそんなことはないと私は思っているからです。
テクノロジーが人間の社会をどのように変えていくかということについて、その答えと方向性を決めるのは、あくまでテクノロジーの基盤の上に立っている人間の責任でしかありえません。
テクノロジー自体が決めるものではないのです。
テクノロジーは人間の足の裏までであって、それ以上ではない、とくにコミュニケーションのテクノロジーというのは、そういうものだと思います。
しかし、とにかくその上に乗って見ないことには、どんな感じがして、何ができるのかはわかりません。
ですから、できるだけ多くの人が乗れるようにスノコを広げていくことが、きわめて重要です。
ユービキタス・コンピューティングというのは、誰でも、どんな場所でも、特別な仕組みや政治・経済・社会・文化的な背景がなくても、乗れるスノコを、という考え方なのです。
そういう意味で、新しい情報インフラストラクチャーをつくっていくということは、非常に高速で高度なマルチメディアの通信網をつくっていくということ以上に―それはそれとして重要な挑戦ではあるとは思いますか―誰でもが、どんな時にでも使えるような環境を提供していくということが、重要だと思います。
インターネットというのは、たぶんその後者の役割を、いまの社会でとりあえず実現したのだと思います。
そのような理解に立って、インターネットの重要課題この環境をどのように育てていくのか、またどういうことを共通の理解にして今後進んでいくかということが問われているのです。
いま、「インターネットを使わなければ時代に置いていかれる」という強迫観念を感じている人がいるかもしれません。
確かにそうした恐れを煽るような情報もあるし、そういう伝え方をする人もいます。
しかし、いままでのインターネットの発展の歴史のなかでは、そういう発展の仕方をしたことは一度もありませんでした。
われわれは「北風と太陽」と言ってきました。
「こういうものを使わなければ困ったことになるぞ」と、強迫観念を与えてものごとを推進していこうというのは、いわば『イソップ物語』でいう「北風」です。
そうではなくて、「こんなによいことが起こるのだ、こんなに有効なものなのだ」と、まずコンピュータ・サイエンスの分野が成果を示し、そしてほかの分野を動かしてきたのです。
「太陽」のやりかたというのが、インターネットのいままでの発展を支えてきたのではないか、これからもインターネットはそのような形で発展していくのではないかと思っています。

メールマガジンの結論やまとめの段落を最初に持ってきたため、本来最初にくるべきメールマガジンについての段落の持っていき場所に困ったということでした。
メールマガジンを困らせる問題もあり、しかし理論的に正しいを説明できなくてはなりません。
メールマガジンをしっかりと管理すれば、メールマガジンを抑えることも、勝ち分を増やすこともできるのです。